・賀茂神社

深紅のモミジがシンボルの神社
賀茂神社は、京都の本社と同じく下賀茂と上賀茂の二社から成り、県の有形文化財に指定されています。
境内には、樹齢数百年と言われ神社のシンボル的な存在となっているイロハモミジをはじめ、タラヨウやアラカシの巨木・古木があります。鬱蒼とした鎮守の杜に覆われた境内は、紅葉の頃になると、イロハモミジが鮮やかに色づき、落ち葉で赤いじゅうたんを敷いたような美しさになります。
また、初詣でや七五三の祝いなど、一年を通して多くの人たちが参拝に訪れ、様々な願いを託す姿が見かけられます。 


・長命館跡

歴史ある中世の館跡を偲ぶ公園
長命館跡は、中世以降、この地の領主であった長命氏が高さ90mほどの丘陵の地形を巧みに利用して築いた館跡です。
現在は、長命館跡の歴史を後世に残すため、歴史公園として整備され、「風の子公園」と呼ばれています。
早春にはカタクリの群生を見ることができ、また、紅白のウメやサクラが植えられ、地域の人たちが花に親しんでいます。
丘陵には展望台もあり、泉区の街並をはじめ、遠くは仙台港や七ツ森も一望できます。休日には、気軽に散策が楽しめる場として、多くの人たちで賑わいます。

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・古内志摩の墓

古内志摩は、名を義如(よしゆき)といい、初め治太夫と名のっていました。三代藩主伊達綱宗公に仕え、四代藩主綱村公のときに家老となりました。
寛文111671)年、江戸幕府大老酒井雅楽頭忠清邸で、伊達騒動(寛文事件)が起こりました。
伊達安芸宗重は、幼名亀千代(四代綱村)の後見人である伊達兵部宗勝の藩政を糺そうと、幕府に訴え幕府執行部による再度の対審が酒井邸にて開かれました。その日伊達安芸宗重、藩奉行原田甲斐宗輔、柴田外記朝意、古内志摩義如、案内役として伊達藩聞番役、蜂谷六左衛門可広が呼び出されていました。幕府の訊問が終了し、控室に戻ると原田甲斐が突然、安芸に斬りかかり、甲斐も柴田外記、蜂谷六左衛門によって斬殺されました。古内志摩は別室にいて難をまぬがれ、実情を知る志摩は、一連の騒動の処理に活躍しました。
延宝元(1673)年43歳で没し、慈眼寺に葬られました。
 


水の森公園

緑と水のハーモニー、閑静な里山が残る公園
青葉区と泉区にまたがる水の森公園は、水量豊かな三共堤と丸田沢堤、それを取り囲むアカマツの自然林など、緑あふれるすばらしいところです。

公園内の林に整備された園路を歩くと、季節毎に違った姿に出会えます。春は、カタクリやヤマザクラが咲き、水辺にはダイサギが飛来します。5月の公園は萌える若葉でいっぱい。やがてそれは深緑に変わり、夏の暑い日差しをさえぎって清涼感を与えてくれます。秋、水鏡に紅葉を映して絵のように美しく、冬は、雪景色を背景にシベリアから飛来するハクチョウが水辺で羽を休める姿が見られます。自然を満喫できる市民が憩う閑静な里山が残る公園です。